推しの性格と自分の性格は似るのか

好きなキャラクターと自分は似ている、という話をよく耳にします。ただ実際に照らし合わせてみると、性格そのものが一致しているケースは、思われているより少ないです。

にぎやかな人が物静かなキャラクターを好きになることもあれば、争いを避ける人が誰よりも激しく戦うキャラクターに惹かれることもあります。似ているのは性格の中身ではなく、別の場所にあります。

似ているのは、行動を選んだ理由の質

作品をまたいで推しを並べてみると、性格の系統はばらばらなのに、好きになった決め手だけは似ている、ということがよくあります。決め手になっているのは優しさの量でも強さの順位でもなく、その人がある一瞬に何を優先したかという、もっと細い一点です。

轟焦凍が体育祭で炎を出すまでのあいだ、ずっと歯を食いしばっていた時間があります。あの数秒に惹かれた人は、轟のように我慢強い性格をしているとは限りません。惹かれているのは、変わらないことに耐え続けた時間の長さのほうで、そこに自分の我慢の記憶を重ねているだけかもしれません。

我慢していた時間の長さに惹かれる人は、我慢強い自分を誇りたいわけではありません。むしろ、耐えている最中は誰にも気づかれなかったという経験のほうに、静かに反応しています。

器を挟むことでしか話せない人がいる

冨岡義勇は、稽古の輪に加わらず、炭治郎に理由を話すときも視線をそらしています。目を合わせないほうが、かえって話を続けられる人です。この距離の取り方に反応する人は、義勇のように無口な性格とは限りません。むしろ、面と向かうと言葉が出なくなる自分の癖に、覚えがあるだけのことが多いです。

シカマルとアスマのあいだにあった将棋盤も、似た働きをしています。目を合わせずに済む道具を挟んで、いちばん重い話をする。器の形は違っても、義勇の視線と、シカマルの盤は、直接では渡せないものを渡すための迂回という一点で重なっています。似ているのは無口さではなく、迂回を必要としたことがあるかどうかです。

迂回を必要とする人は、器そのものを大事にする傾向があります。将棋の駒でも、視線を外せる方向でも構いません。間に置けるものを持っているかどうかが、直接では話せない相手との関係を保つための、ささやかな装置になります。

決断ではなく、決めさせた側に自分を見る

リヴァイが部下に「悔いのない方を選べ」と告げ、命令ではなく選択を渡した場面があります。ここに惹かれる人は、リヴァイのように冷静な判断力を持っているとは限りません。楽な指示を出さずに済ませてしまった経験、あるいは誰かに決めさせてしまった経験、そのどちらかに心当たりがあるだけのことが多いです。

推しの決断に自分を重ねるとき、人は決断の中身より、決断の渡し方のほうに反応しています。性格が似ているかどうかより、その渡し方に見覚えがあるかどうかが分かれ目になります。

届かない相手に書き続けた時間

報瀬が母のパソコンに何年もメールを送り続けた場面があります。届かないと分かっていて、それでも書くのをやめなかった。この持続に惹かれる人は、報瀬のように行動力がある性格とは限りません。むしろ、宛先が答えない状態のまま何かを続けた経験があるかどうかのほうが、反応の分かれ目になります。

自分にはそんな経験がない、という人でも構いません。惹かれるという反応そのものが、まだ経験していない何かへの予感であることも、同じくらいよくあります。

続けるという行為は、成果が出るまでの我慢とは違います。返事の有無を条件にしないという一点だけで、報瀬の年月は成立していました。同じ条件で何かを続けている人ほど、この場面から動けなくなります。

似ているかどうかより、どこで止まったか

轟の我慢、義勇の視線、リヴァイの選ばせ方、報瀬の書き続けた時間。作品も性格もばらばらな四人が、同じ理由で語られているのは偶然ではありません。惹かれる決め手は、性格の系統ではなく、行動の一瞬に人が何を優先したかという一点に、いつも寄っていきます。

推しと自分が似ているかどうかを確かめたいなら、性格の一覧を作るより、印象に残っている場面を一つ思い出すほうが早道です。似ていたから好きになったのではなく、その一瞬が自分のどこかに触れたから、あとから似ていると思うようになっただけかもしれません。順番は、たいてい逆です。

この話の材料になった場面

どの場面で息を止めたかということが、あなたの何を指しているか。
そこが分かれるところに、あなたの性格が出ます。

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