アニメ『鬼滅の刃』柱稽古編 第二話「水柱・冨岡義勇の痛み」の場面に触れます。ネタバレを含みます。
鬼滅の刃で冨岡義勇について語る人は多くいますが、同じ稽古の場面を挙げた人でも、引っかかった一点は同じではありません。
彼が何も言わない時間のほうに、じっと目を凝らす人がいます。
柱稽古が始まっても、義勇は輪に加わろうとしません。無口で表情を変えない彼の様子は、そのまま「人付き合いが苦手な変わり者」として片づけられがちです。炭治郎も最初はそう思っていた側の一人でした。
けれど根負けした義勇が語り出した理由は、人が嫌いという話ではありませんでした。自分が水柱と呼ばれるに値しないという疑いを、何年も抱え続けているという話です。人を避けているのではなく、自分の資格を疑い続けているせいで、人の輪の中心に立つことができない。無愛想は結果であって、原因ではありませんでした。
義勇と話していて分かるのは、彼が相手の目を見ないという癖です。多くの場合、これは話を早く終わらせたい合図として受け取られます。ところが炭治郎に事情を語り出した場面では、順番が逆になっています。
目をそらしてから、初めて長く話し始めるのです。目を合わせないことは、話を切るためではなく、話を続けるための条件でした。まっすぐ見られたまま本音を話すのは、彼にとって負荷が高すぎる。視線を外して初めて、抱えていた疑いを言葉にできる。これは弱さというより、自分の限界をよく知っている人間の、実用的な工夫です。
義勇と炭治郎のあいだで、繰り返し出てくる物があります。炭治郎が父の形見として着けている、花札の耳飾りです。 義勇は最初に炭治郎と会った瞬間から、この耳飾りに強く反応しています。
本人の口からその理由が詳しく語られることはほとんどありません。ただ、義勇にはかつて、同期を失ったという過去があります。その耳飾りが、失った同期の記憶と結びついていることは、二人のやり取りの端々からうかがえます。義勇が炭治郎に肩入れする理由の相当な部分は、この耳飾り一つに集約されていると考えると、彼の不自然なほどの執着にも筋が通ります。
炭治郎にとって、稽古に出てこない義勇を訪ねるのは、単なる巡回の一環に見えるかもしれません。でも義勇の側から時間を巻き戻すと、この訪問はもっと長い準備の上に立っています。
義勇は最初の出会いから今日まで、炭治郎に対してだけ、説明のつかない譲歩を重ねてきました。 見逃すはずのない状況を見逃し、拾うはずのない縁を拾う。理由を聞かれても、多くを語りません。その譲歩の理由を、炭治郎がようやく本人の口から聞き出したのが、この稽古の場面です。何年もかけて閉じられていた扉を、根負けという形で初めて開けさせたのは、炭治郎の粘りのほうでした。
周囲は彼を迷いなく「水柱」と呼びます。けれど義勇自身の語りを聞くと、その呼び名は本人にとって、しっくり収まったことが一度もない借り物だったと分かります。役職としては水柱でも、資格としては水柱ではないという感覚を、彼はずっと引きずっていました。
これは謙遜ではありません。謙遜なら、本人はどこかで自分を過小評価していると自覚しています。義勇の場合は評価の問題ではなく、呼び名と実感が最初からずれたまま固定されてしまったという状態に近い。だから彼は水柱という言葉を、誇りとしてではなく、常に説明を要する重荷として背負っていました。
この回のラストで、義勇はようやく自分の疑いを口に出します。物語としては、ここで長年の重荷が下りて楽になった、と要約したくなる場面です。でも実際に描かれているのは、疑いが消えることではありません。
疑いを、初めて誰かに聞かせる形にしただけです。言葉にしたからといって、資格への疑いそのものがなくなるわけではない。 それでも一人で抱えている状態と、誰かに聞かれている状態は、別の重さになります。義勇がこの回で得たのは解決ではなく、一人で背負う必要がなくなった、という小さな変化のほうだったと考えるほうが、その後の彼の姿に近いはずです。
冨岡義勇のこの回を思い出すとき、引っかかる一点は人それぞれ違います。
視線をそらしながら理由を話し出す姿で止まる人。炭治郎の耳飾りを見つめる、あの一瞬の間で止まる人。「水柱に相応しくない」という一言そのもので止まる人。根負けするまで、何も言わずに稽古を拒み続けていた時間の長さで止まる人。
この違いは、共感しやすさの差ではありません。あなたが人のどこに疑いの気配を感じ取る人かの違いです。 どこで止まったかを言葉にできなくても問題ありません。その場面を一つ思い出せれば、十分です。
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