アニメ『宇宙よりも遠い場所』STAGE12「宇宙よりも遠い場所」の場面に触れます。ネタバレを含みます。
「宇宙よりも遠い場所」で泣いた場面を挙げてもらうと、南極の基地で母のパソコンにメールが届く、あの回に集中することがあります。ただ、同じ場面を挙げた人でも、止まった一点は違います。
画面いっぱいに受信の表示が並ぶ瞬間に涙腺がゆるむ人もいれば、そこへ至るまで何年も書き続けていたという年月のほうに、うまく言葉が出なくなる人もいます。
報瀬が南極を目指した理由を、「母はまだ生きている」と信じていたからだと説明したくなることがあります。物語の作り自体、旅の出発点を母を探すことに置いているので、そう見えても不思議はありません。
でも、母のパソコンに何年ものあいだメールを送り続けていたという行為だけを取り出すと、事情は少し変わります。返事が来ないという事実に、報瀬が気づいていなかったはずがありません。気づいた上で、送るのをやめなかった人です。
やめなかった理由は、希望というより、たぶんもっと単純な必要でした。書くことをやめた瞬間、母との回路がひとつ完全に閉じてしまう。生きているかどうかの結論を出すより先に、報瀬はその回路のほうを守っていたように見えます。
選ぶ動作は、送信ボタンではなく、書くという行為そのものです。南極での一日を、報瀬は毎回文章に直しています。何が起きたか、何を思ったか。これは記録というより、経験を一度自分の外に出す作業に近いものです。
出す先が、母のアドレスだったというだけのことです。宛先は結果であって、目的ではありません。先に「言葉にしたい」があって、それを渡す場所として、たまたま一番自然な場所が母の受信箱だった。届くかどうかは、書くという行為が成立する条件ではなかったということです。
だから受信されなかった年月も、行為としては失敗していません。書く、送る、届かない、という順番の最後の一項が欠けていただけで、最初の二項は毎回きちんと終えていた。この人にとって、書くことは常に完了している行為でした。
その二人のあいだにあったのは、面と向かった長い会話ではありません。「その日にあったことを言葉に直す」という、同じやり方です。母は観測隊員として、日々の記録を残す仕事をしていた人です。報瀬のメールも、出来事を並べて締めくくる書き方をしています。似ているのは、たぶん偶然ではありません。
会話の代わりに、それぞれが自分の記録をつける。同じやり方を、別々の場所で続けていた二人だったということです。派手な絆の証というより、地味な癖の一致のほうが、この親子には合っています。
だから母のパソコンは、思い出の品である以上に、同じ癖を持つ人だけが使える受け皿でした。報瀬が何年もそこに書き続けられたのは、宛先が母だったからというより、その書き方を受け止められる場所が他になかったからだと思います。
母の側の時間を想像してみます。観測隊員としての母は、南極でも同じように、地道な記録を積み重ねる仕事をしていた人だったはずです。派手な発見より、同じ手順を毎日繰り返すことに時間を使うタイプだったと考えられます。
そう見ると、報瀬が身につけた「一日を言葉にする」習慣は、母を真似たものというより、先に母がやっていたことを、報瀬が後から同じ形でなぞったものに見えてきます。教えられたのではなく、そばで見ていた時間の使い方が、そのまま体に移っていた。
母がいなくなったあとも、報瀬がその習慣をやめなかったのは、記録を続けることが、母の仕事のやり方を引き継ぐほとんど唯一の方法だったからです。宛先が答えない歳月のあいだ、報瀬は一人で母のやり方を続けていたことになります。
作中で南極は、「宇宙よりも遠い場所」と呼ばれます。実際に足を運んだ人の数で言えば、たしかに南極は宇宙より遠い。距離の話として、これはそのまま事実です。
でもこの回に限っては、もう一つの読み方ができます。長いあいだ受信されないまま母のパソコンの中で止まっていたメールにとって、一番遠かったのは物理的な距離ではなく、電源が入るまでの時間でした。すぐそこにあるのに、届かない。遠いのは場所ではなく、その止まった状態のほうです。
報瀬たちが実際に南極へ着いたことより先に、パソコンの電源が入り、通信が生きて、画面に受信の表示が並んでいくことのほうが、この場面にとっての本当の到着だったのかもしれません。距離を越えたのは、足ではなく、信号のほうが先でした。
何年分ものメールが一気に受信済みへ変わる画面は、感動的な締めくくりに見えます。ここで報瀬の気持ちに区切りがついた、と要約したくなる場面です。
でも受信は、返信ではありません。文字が届いたことと、応えが返ってきたことは別の出来事です。画面が示したのは、言葉が長いあいだ宙に浮いたままだったという事実であって、その言葉に母が応えたという事実ではありません。
だからこの場面は、乗り越えた話として閉じるより、止まっていた時間がようやく動き出しただけの話として見るほうが近いと思います。終わったのではなく、ここでやっと、報瀬が積み重ねてきた年月が現在に追いついた。そういう場面です。
「母へのメール」の場面ひとつを思い浮かべても、そこで足が止まる位置は一人ひとり別です。
画面いっぱいの受信表示で止まる人。何年も書き続けていたという時間の長さで止まる人。宛先が答えないと分かっていて、なお書くという選択で止まる人。パソコンの電源が入る、その一挙動だけで止まる人。
この違いは、作品への思い入れの強さではありません。あなたがどこに感情を置く人かの違いです。 うまく言葉にできなくても構いません。どの場面が動いたか、思い出せればそれで十分です。続きは、読んだ人それぞれのものになります。
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この場面で息を止めたということが、あなたの何を指しているか。
そこが分かれるところに、あなたの性格が出ます。
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