ベジータは、最後に息子を抱きしめた

魔人ブウ編の場面に触れます。ネタバレを含みます。

ドラゴンボールで心が動いた場面を聞くと、ベジータの名前はかなりの割合で出てきます。ただ、同じベジータの場面を挙げた人でも、止まった位置は同じではありません。

光に包まれる直前で止まる人もいれば、その少し前、息子の頭に手を置いたところですでに止まっている人もいます。

誇りを捨てたから、抱きしめたのではない

魔人ブウ編のベジータは、ずっと悟空との決着のことを考えています。自分から悪の側に身を寄せてまで、もう一度戦える状況を作ったほどです。その人が、自分の命と引き換えにブウを止めようとする。ここはよく「誇りを捨てた場面」として語られます。

けれど順番を見ると、少し違って見えます。彼は最後まで、自分が王子であることを手放していません。手放したのは誇りではなく、誇りを守るために閉じていた扉のほうです。誇りはそのままで、扉だけを一度開けた。だから、あの場面の彼は弱くなったようには見えません。

抱きしめたのは、言葉より先だった

彼は息子に、それまで一度も言わなかったことを短く伝えます。言葉の前に、まず手が動いています。 頭に手を置き、それから腕を回す。言葉は、そのあとに付いてきたものです。

言い慣れていない人は、言葉から始められません。体のほうが先に動いて、言葉がやっと追いつく。あの順番そのものが、彼がそれまで何を言わずに来たかの長さを物語っています。

息子を眠らせたのは、見せないためだった

言い終えたあと、彼は息子の意識を断ち、遠ざけます。ここで泣く人は多くありません。けれど、この一手がいちばん彼らしいと感じる人もいます。

自分が何をしようとしているかを、息子に見せない。止められないように、という理由もあったはずです。ただそれ以上に、父親が最後に選んだのは、見られずに済むことだったように見えます。抱きしめるところまでは見せて、その先は見せない。線の引き方が、最後まで彼のものでした。

トランクスの側から見ると、これは短すぎる時間だった

息子の側に立つと、場面はもっと短く感じられます。いつも厳しく、褒めることの少なかった父親が、急に抱きしめてきて、何か言って、そこで記憶が途切れる。受け取った側には、意味を確かめる時間がありません。

確かめる時間がなかった言葉は、そのあと何度も思い出されることになります。一度しか言われなかったから、薄れないのです。言った側は一度で終わらせ、聞いた側はそれを何度も繰り返す。 この場面の重さは、その非対称のほうにあります。

「王子」という呼び名の中身

ベジータは自分を「サイヤ人の王子」と呼び続けます。滅びた星の、もう存在しない王家の名前です。守るべき国も民もないのに、肩書きだけを手放さずにいる。 見方によっては、意地を張っているだけにも見えます。

けれど魔人ブウ編で、彼は初めて守るものを持った状態で戦場に立ちます。妻がいて、息子がいる。肩書きにようやく中身が入った回だと読むと、あの最後の行動は、誇りの放棄ではなく、王子という名前の使い方を、彼がやっと見つけた場面になります。

あなたが止まったのは、どこでしたか

同じベジータの場面を思い出しても、残っている一点は人によって違います。

息子の頭に手を置いた瞬間で止まる人。短い一言で止まる人。息子を眠らせた手つきで止まる人。光に包まれる直前の、横顔で止まる人。そのあと、残された家族のほうの時間で止まる人。

作品の評価が分かれているのではなく、ふだん何を見て生きている人かが分かれているだけです。 理由を説明する必要はありません。浮かんだ一場面が、そのままあなたの答えになります。

この場面で息を止めたということが、あなたの何を指しているか。
そこが分かれるところに、あなたの性格が出ます。

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