ピッコロは、悟飯の前に飛び出した

サイヤ人編の場面に触れます。ネタバレを含みます。

ピッコロで心が動いた場面を聞くと、サイヤ人編の、あの一瞬を挙げる人がたくさんいます。ただ、同じ一瞬を挙げた人でも、止まった位置は同じではありません。

飛び出した瞬間で止まる人もいれば、その前の一年、荒野で悟飯を放り出したところですでに何かを感じていた人もいます。

優しくなったから、飛び出したのではない

ピッコロは、はじめ悟空の敵として登場します。サイヤ人が来ると分かって手を組んだのも、仲間になったからではなく、利害が重なったからでした。その人が、悟飯に向かった攻撃の前に、自分の体を投げ出す。ここはよく「ピッコロが優しくなった場面」として語られます。

けれど、彼の口ぶりは最後まで優しくありません。厳しい顔のまま、厳しい言い方のまま飛び出しています。変わったのは態度ではなく、守る順番のほうです。自分の誇りより先に、この子が来るようになっていた。本人がそれに気づいたのは、たぶん体が動いたあとでした。

一年間、褒めなかった

悟空がいないあいだ、ピッコロは悟飯を荒野に置き去りにし、一人で生き延びさせるところから鍛え始めます。泣いても助けない。甘えても応えない。その一年に、褒め言葉はほとんど出てきません。

それでも悟飯は、その一年を逃げずに過ごしました。厳しい人の隣に、それでも居続けた子どもがいた。ピッコロの側から見ると、そういう相手は初めてだったはずです。一緒にいることを拒まなかった者は、それまで一人もいなかったのですから。

最後の言葉は、礼だった

倒れたあと、ピッコロは悟飯に短く話しかけます。中身は、教えでも命令でもありませんでした。一緒に過ごした時間が悪くなかった、という礼です。

師が弟子に最後に残すものは、ふつう教えのほうです。彼はそれを選ばず、礼を選んだ。教えるつもりでいた一年が、実は自分のほうが受け取っていた一年だったと、最後に認めたように聞こえます。

悟飯の側から見ると、これは一年の答え合わせだった

悟飯は、厳しくされた理由を、その一年のあいだ誰にも説明されていません。怖い人だと思いながら、言われたとおりにしてきただけです。

飛び出してきた背中を見た瞬間に、一年分の厳しさの意味が、まとめて裏返ります。 説明されなかったから、そのぶん一度に届く。この場面で泣く人の多くは、ピッコロのほうではなく、この裏返りのほうで止まっているのかもしれません。

「魔王」という呼び名の中身

ピッコロは、もともと世界を脅かす側の名前を背負って現れました。恐れられる名前を持ったまま、子どもを一人、一年かけて育てた。名前と、やっていることが、いちばん離れていた時期がこの一年です。

あの最後の一瞬は、その差が一度に埋まった場面だと読めます。名前を捨てたのではなく、名前の中身のほうを、本人が先に書き換えていた。書き換えが終わっていたことを、本人がいちばん最後に知ったのだと思います。

あなたが止まったのは、どこでしたか

同じピッコロの場面を思い出しても、残っている一点は人によって違います。

荒野に悟飯を置いていった後ろ姿で止まる人。飛び出した瞬間の背中で止まる人。最後の礼の言葉で止まる人。泣き叫ぶ悟飯の声のほうで止まる人。

作品の評価が分かれているのではなく、ふだん何を見て生きている人かが分かれているだけです。 理由を説明する必要はありません。浮かんだ一場面が、そのままあなたの答えになります。

この場面で息を止めたということが、あなたの何を指しているか。
そこが分かれるところに、あなたの性格が出ます。

ドラゴンボールのキャラで診断する

ほかの場面