第1話(借金を返すために悪魔を狩りながら、ポチタと二人で貧しく暮らす場面。始まりの前提の範囲)の場面に触れます。ネタバレを含みます。
チェンソーマンの第1話で描かれるのは、借金を返すために働いても、手元にほとんど何も残らない暮らしです。その日の食べものが食パン1枚でも、デンジはそれをポチタと分けます。物語が派手になる前の、いちばん静かな場面です。
この始まりを挙げる人でも、止まった位置は同じではありません。暮らしの苦しさで止まる人もいれば、その中で分けることをやめなかった姿で止まる人もいます。
この場面はよく「どん底の貧しさの描写」として語られます。設定の説明としては、その通りです。
けれど、デンジは余ったものを分けていたのではありません。自分の分を削ってでも、隣にいる相手と同じものを食べていました。 この場面に止まる人は、足りないときほど誰かと分けた記憶を、大事に持っている人かもしれません。
デンジが思い描く「いい暮らし」は、温かいものを食べる、ちゃんとした場所で眠る、といったものです。
欲しいものの大きさは、その人が見てきた世界の広さに比例します。 この場面で胸が動く人は、望みの小ささを笑うより、そこまでしか思い描けなかった暮らしの方に目が行く人です。
借金も、仕事の危うさも、デンジ一人の力ではどうにもなりません。それでもポチタがいることで、その日々は「しのぐだけの時間」ではなく、暮らしになっています。
状況は変えられなくても、隣に誰がいるかで、同じ毎日の意味は変わります。 この始まりに止まる人は、苦しい時期を誰かと過ごしたことで乗り越えた覚えがある人です。
同じ始まりの場面を思い出しても、残っている一点は人によって違います。
食パン1枚という暮らしの細さで止まる人。それを分けた手で止まる人。小さな夢を語る声で止まる人。ポチタと並んで眠る姿で止まる人。
作品の評価が分かれているのではなく、ふだん何を見て生きている人かが分かれているだけです。 理由を説明する必要はありません。浮かんだ一場面が、そのままあなたの答えになります。
この場面で息を止めたということが、あなたの何を指しているか。
そこが分かれるところに、あなたの性格が出ます。
登録不要・無料。選ぶのは1人だけ、質問はそのあと1問です。