第1話(15歳の魔導書の授与で、ユノが四つ葉の魔導書を授かり、アスタには何も来なかった場面。公式あらすじの範囲)の場面に触れます。ネタバレを含みます。
ブラッククローバーの始まりは、魔導書を授かる日です。同じ教会で兄弟のように育ったアスタとユノが、そろって儀式に立ちます。ユノの前には四つ葉の魔導書が降りてきて、アスタの前には何も来ません。ただ、この始まりの場面を思い出す人でも、止まった位置は同じではありません。
何も来なかったアスタの手で止まる人もいれば、周りの視線を浴びても顔色を変えないユノのほうで止まる人もいます。
魔法がすべての世界で、アスタはただ一人、魔力を持たずに生まれました。ここはよく「落ちこぼれが這い上がる物語の出発点」として語られます。物語の始まりとしては、そう見えるのが自然です。
けれど、この日のアスタは、夢を言い直したり、目標を小さくしたりはしません。手元に何も無いという事実と、魔法帝になるという言葉が、同じ体の中に並んだままです。この場面に止まる人は、逆転の気持ちよさより、足りないまま言い続けることの重さのほうに、覚えがあるのかもしれません。
もし1人で儀式に立っていたら、話はまったく違っていたはずです。隣には、同じ日に同じ場所へ捨てられ、同じ夢を口にしてきたユノがいました。
比べられる相手がいちばん近くにいると、足りなさは2倍の大きさで見えます。 兄弟、同期、同じ部の仲間。この場面で胸が動く人は、魔法の不思議さより、その「隣の人と並べて見られる」感じに、何度も立ち止まってきた人です。
ユノは才能に恵まれ、静かで、表情をあまり変えない少年として描かれます。何も困っていない子に見えます。
表情を変えない人は、何も感じていないのではなく、感じたことを外に出す順番を自分で決めている人です。 隣で叫び続ける誰かがいるから、自分は黙って前を向いていられる。そういう並び方をしてきた人ほど、ユノの静けさの中に、言葉にしていない何かを見つけます。
同じ始まりの場面を思い出しても、残っている一点は人によって違います。
降りてきた四つ葉の魔導書で止まる人。何も来なかったアスタの手で止まる人。周りの笑い声で止まる人。それでも顔を上げていたアスタの横顔で止まる人。黙ってそれを見ていたユノで止まる人。
作品の評価が分かれているのではなく、ふだん何を見て生きている人かが分かれているだけです。 理由を説明する必要はありません。浮かんだ一場面が、そのままあなたの答えになります。
この場面で息を止めたということが、あなたの何を指しているか。
そこが分かれるところに、あなたの性格が出ます。
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